「柱島読本」

医療


 柱島の医療の歴史をたどってみると、多くの医師が開業され、ずいぶん尽くされているようである。

S・10年診療所建立
 森脇医師
S・16,5〜23,3
 辛島医師・・・柱島在住。
S・23,6〜32,3
 永田医師(37才)・・・柱島在住 。S・26年より市の嘱託医。
S・32,6
 柳原医師(50代)・・・市の嘱託医。大島郡の東和町(伊保田)で開業していたので、島は週2回の往診のみ(当時の島人口1200人)
S・33,8〜34,6
 橘 謙二・・・市の嘱託医。
S・36,10〜38,7
 岩国市国民健康保険直営診療所開設。竹村 勇・・・柱島在住 。
S・38, 8〜41,6
 無医村状態。倉橋島の西亀病院か、大島の平野にある病院へ高い交通費を払って診療を受けていた。
S・41,7〜48,10
 岩国市医師会柱島診療所開設。岩国市医師会所属の医師が来島し、無医村時代に終止符をうつ。医師は交替制で、日曜日のみの診療となる。
S・49,7〜52,2
 当時、柳井の国立療養所の医師であった安沢清文医師が、通いながら週2日の診療を行う。
S・52,3〜55
 広島大学附属病院笹木医師・・・週1回
S・55,3〜58
 広島大学附属病院渡辺医師・・・週1回
S・58,4
 柱島診療所国立岩国病院の内科医師による10人前後のローテーションでおこなわれる。
診療・・・9時30分から12時(医師の輸送は救急艇「みしま」が使われる。)
黒島・・・第一水曜の午後、黒島小学校で行う。端島・・・第三水曜の午後、端島中学校で行う。
 
<救急艇「みしま」>

1 昭和46年10月27日
 大きさ・・・・・4.9トン
 長さ・・・・・・6m70cm
 速さ・・・・・・22ノット
 柱島ー岩国・・・35分

2ハ 昭和56年4月1日
 大きさ・・・・・4.9トン
 長さ・・・・・・7m70cm
 エンジン・・・・105馬力
 柱島ー岩国・・・45分
3 平成元年
 大きさ・・・・・4.9トン
 長さ・・・・・・11m70cm
 エンジン・・・・300馬力
 柱島ー岩国・・・30分

<システム>
 このシステムは、救急の医療を受ける必要がおきたとき、いつ何時でも柱島出張所(夜間であれば、出張所に勤務されているかたの自宅)へ連絡すれば、すぐ救急艇をだすことができ、救急の処置をしながら国立病院に近い藤生港へ向かうようになっている。これは、もし他の病院を希望すれば、そこに近い港へつくこともできる。そして港では船の中で無線連絡を受けた救急車が待機しており、病院ですぐ受診できる体制ができている。救急車には、それぞれの名称があり、この救急艇は「岩国救急艇11」と呼ばれており、無線で消防署に連絡する時も、この呼称が使われる。