「柱島読本」

地名の由来


○柱島(はしらじま)
 昔からお宮(神社)には社殿に大きな柱が用いられている事から、お宮は1柱(ひとはしら)、2柱(ふたはしら)・・・と数えていた。この柱島には、賀茂神社はじめ多くの社(やしろ)がまつられていることから、多くの社のある島、多くの柱のある島、つまり「柱島」となった。

○柏口(かしわぐち)
 ここ地元の人は「かしらぐち」という。父を殺された中臣小次郎(なかとみのこじろう)が、仇である桑原杢之助(くわはらむくのすけ)の屋敷の近くのこの地にきて、かぶとの緒をしめたのでこの名があるという。

○来見(くるみ)
 昔、柱島水軍という海賊集団があった。この海賊が敵軍の船の来るのを見て、見張りを行っていたのがこの地だという。「来」るのを「見」ていたのが、来見集落の由来である。

○前浜(まえはま)
 この集落は海(浜)に近いところから、この地名がついたのであろう。

○寺田(てらだ)
 旧出張所のあるあたりに、明治のはじめまで歓音寺という寺があったことに由来している。この寺は、門徒が2、3軒しかなかったので廃寺になったという。

○今宮の鼻(いまみやのはな)
 厳島神社ができるまで、その御神体がこのあたりに立ち寄られていたという伝説がある。すなわち、神様のすまいである御屋(宮)がこのあたりにあったということから、この名がついたと考えられる。・・・鼻というのは、人間の鼻のように、海にむかって一段とつき出た陸地の部分をいう。

○鴨ヶ迫(かもがさこ)
 昔はこのあたりから、奥鴨ヶ迫にかけて鴨(かも)が多くいたらしい。この鴨からこの地名がついたのであろう。なお、今でも漁網に鴨がかかることがある。これは、海中の魚を鴨が潜って捕らえようとした時、網にひっかかったものであろう。

○大町(おおまち)
 このあたりには、比較的面積の大きい水田がみられる。すなわち、何町もある大きい田ということから、「大町」と名付けられたと思われる。

○角田の鼻(すみだのはな)
 この地名そのものは、島の角っこ、または島の隅っこにある田んぼという意からつけられたものである。島の人は、俗にここを島尻(しまじり)とよぶ。「しまじり」の由来については、蔵根(くらね)から約1kmに及ぶ砂浜海岸の行きづまりから名付けられたという説と、昔集落のあった浦庄と賀茂の下を頭とみた場合、反対側は尻(しり)となるので、島尻というようになったという説とがある。また、すみだの鼻は、別名「三升鼻」(さんじょうばな)とよばれている。これは、昔、神様がこのすみだの鼻に流れつかれて、島尻の長い浜を歩いて行かれるときに、神様の子どもが、途中途中で三升もの豆を食べたという伝説からついたらしい。

○大崩(おおずえ)
 このあたりに急ながけが見られるところから、昔、山崩れがあって、土が大量にずえた(くずれおちること)ことに由来したのではなかろうか。

○紅石(べにいし)
 厳島の合戦で功労のあった毛利氏の家臣桑原杢之助は恩賞として柱島の地を与えられその領主となった。一方、織田信長(ー説には明智光秀)の家臣であった中臣弾正(なかとみだんじょう)は本能寺の変後、伊予に逃れ、柱島領主の地位をねらいこの地にやってきた。桑原杢之助は、柱島のまうらの浜で中臣弾正をだまし討ちにした。この時、二人の斬り合いで流れた血がまわりの石を赤く染めた。このことから、この附近にあるいくつかの石の小島を「紅石」というようになった。

○平崎の鼻(ひらさきのはな)
 この鼻は平らで、田畑に作物がつくられている。この後方の長崎は柱島でも有数の良地である。

○赤崩(あかずえ)
 このあたりの土は赤味を帯びている。赤土がずえたということから、「あかずえ」とよんだのであろう。

○牧(まき)
(1)昔、このあたりに牛馬の牧場があった。
(2)マキ(薪)を多く産した。
(3)牧本、牧野、牧岡など「牧」の字がつく家が多かったから
の3説がある。昔はどの家でも牛を飼っていたことから、(1)の妥当性が大きいといえる。

○賀茂の下(かものした)
 「かものした」が正しいが、地元の人は「かまのした」という人が多い。もともと賀茂神社がこの地の上側にあったことからつけられた。

○洲鼻(すばな)
 これは文字通り洲(砂)でつくられた鼻(つき出した地形)という意味である。

○新宮鼻(しんぐうのはな)
 新しく設立された八幡宮に由来する。

○木落(きおとし)
 昔は切り倒した木をこのあたりからまず浜に落とし、それを船、またはいかだで人家のあった賀茂の下、もしくは浦庄あたりに運び、船の材料、建築用、薪用、木地用などに用いたのであろう。昔は道も小さく、陸路での運搬は困難であった。木を落としたので、「木落」というようになった。

○宮の跡(みやのあと)
 昔、ここに賀茂神社があったのでこの名がある。

○妙見の鼻(みょうけんのはな)
 ここには昔、妙見菩薩を祭った妙見宮があったのでこう呼ばれる。現在は、賀茂神社内に他の12社とともに境内末社として祭られている。